「ミッドライフクライシス」をきっかけに私の問題点を断捨離する。

「息子の受験」と「娘の不登校」、今の私の大きな悩みです。

ニューロ・ロジカル・レベルを自分に当てはめてみる。【息子の受験編】
息子のセンター試験失敗の後、気持ちを整えるために実践したニューロロジカルレベル。そこで息子の行動や世間体ばかりに意識を向けて、焦りと苛立ちで受験勉強をしにくい環境を私が作り出していたことに気づきます。息子が自分の決めた進路に進めるように私が心穏やかになるように自分自身に意識を向けていこうと思ったら心が軽くなりました。

中学3年間不登校だった娘の高校生活。
中学3年間不登校だった娘が受験して、高校生活がはじまりました。1学期はどうにかこうにかしてがんばって通学していましたが、2学期になってだんだんと不安定になってきてとうとうまた不登校になってしまいました。

そんな悩みに対してどうにか私自身の気持ちを整理するために

ニューロロジカルレベルに当てはめてみて、自己分析をしてみます。

方法はピラミッド型に作られた5つあるレベルの意識の向け方を知ることによって、

土台部分から、環境、行動、能力、信念・価値観、そして頂点が自己認識

(アイデンティティ)になります。

意識の向け方で一番重要だとされている頂点の自己認識(アイデンティティ)という

レベルについて、思ったこと。

アイデンティティという言葉は何となくざっくりとした感じで使うことがありますが、

私のアイデンティティとはなんてじっくりと考えたことがありませんでした。

そして、改めてアイデンティティについていろいろと考えていたときに思わないところで

私のもう一つの悩み「夫」との関係についてのことで、ひとつ解決のヒントを見つけ出す

ことができました。

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アイデンティティとは。

そもそもその意味さえもちゃんと理解できていませんでした。

アイデンティティとは時間や場所に関係なく、

・自分は自分であるということ。

・自分はどんなことがしたくて、どんな人生を送りたいかを自覚できているということ。

・他人が意識している自分と自分が意識している自分が一致しているということ。

・自分が社会と結びつきを持ち、そこに適応できているということ。

以上の4点から実感できている状態のことを言います。

子供にとっては母親の私。夫にとっては妻の私。母にとっては娘の私。

会社員の私。こうやってブログを書いている私。

といろいろな私がいますが、それぞれに価値観を持って今まで私という存在を

実感してきました。

ですが、どうにもならない問題にぶち当たった時に、私がそれまでにやってきたことについて

つくづく後悔してしまうっていうことがここ最近よくあります。

今回の息子の受験の時もそうです。

結局、私の子育てが間違っていたのかもなどと思うと胸が苦しくなります。

私が良かれと思ってやってきた子育ても、なかなか思うように物事が運ばない時は

特にそう思ってしまいます。

そして、そう思っているうちに「ミッドライフクライシス」という言葉にたどり着きます。

「ミッドライフクライシス」とは。

中年の危機という意味。

中年期(40~60歳)にいろいろなことがきっかけになって、

それまでの持っていた価値観がひっくり返り、その後の生き方について

「このままでいいのだろうか。」と問い直すようになり、それまでのアイデンティティが

揺らぎ始めることを言います。

なぜ起こるのかというと、

中年期になると、自分や家族の病気、親の介護や死、子供の親離れなどといった

喪失体験をしやすくなり、若い頃は無限に思っていたものが実は有限だということに

気づくのがこの中年期が多いと言われています。

スイスの心理学者ユングがこういった中年期を「人生の正午」と名付けて、

午前中の勢いのある強い光が当たって見えなかったものが、

午後の太陽が傾き、翳りが出はじめてくるとなるとそれが見えるようになってくることを

例えて言っています。

こうやって、中年期になると自分の本心に気づき、価値観が揺さぶられて葛藤が起こり、

罪悪感に苛まれてしまう。

このことを「ミッドライフクライシス」というそうなのです。

まさに今の私です。

「ミッドライフクライシス」を避けてしまうと。

そして、もうひとつ。

その見えなかったものは結局「自分がやり残した課題」や「置き去りにした自分」であって、

そのことをそういった人生の大きな分岐点にしっかりと向き合って、

じっくりと自分を見つめなおすことで、

自分を成長させて、また自分の存在価値を高められるようになります。

ただ、それは罪悪感に苛まれ、心が折れそうになることもあるので、

覚悟が必要になってきます。

今ふと私のそんな見えなかったものとかではなく、見ようとしなかったものを

挙げてみようしたら、矢継ぎ早にあれこれと出てきて怖くなりました。

できれば避けてしまいたいところです。

ですが、この過程を避けてしまうと「自分がやり残した課題」や「置き去りにした自分」

自分ではない誰かに投影してしまうことになります。

特に親や配偶者、子供や職場の部下など「自分より立場の弱い人。」ととらえた

身近な人を対象に、その相手の中に「見たくない自分」を見つけてしまうと

相手を責めることによって「自分は何も問題ない。」と思おうとする。

こうやって自分の大切な人を傷つけてしまう危険性があると言われています。

「夫」と険悪になる理由がわかりました。

このことを知って、私は「夫」をこうやって知らず知らずのうちに

傷つけていたことに気づくのです。

「夫」は基本的に温和な性格で、大らかな人なので私に対して細かいことは

全く言わない人ですが、ここ何年かでよく口喧嘩をするようになりました。

ですが、その原因は私の一言がほとんどのような気がします。

言わなくてもいいことを言ってしまって、「夫」を怒らしてしまい

その後どうしようもない自己嫌悪に陥ってしまいながら、また同じことを繰り返す。

その繰り返しを今日はやめておこうと思っていても、

なぜか「夫」は決してわざとではなく、私を刺激するような態度をするのです。

私はそれをみるのが嫌で、口うるさく「夫」に注意するのですが、

「夫」にしたら面白いわけがありません。

当たり前ですが、一気に家の雰囲気が悪くなってしまい、そばにいる子供たちにとっても

決していい環境ではないはずです。

結局は私自身が「やり残していた課題」や「置き去りにした自分」の姿を

全て「夫」を通して見えてしまい、自分を正当化するために「夫」に口うるさく言っていた

のです。

 人生の分岐点に私の問題点を断捨離をする。

ここ最近ずっと何となく生きづらいというか、何かしらの障害物にぶつかりながら

暮らしているなっていう実感がありました。

そんな時こそ笑顔で明るくいようと思っていても、どうしても家族といる時に限って

難しくてなかなか実行できませんでした。

反対に家族に言わなくてもいいことを言ってしまい、険悪にしてしまうことが多くて

それが嫌で嫌でたまりませんでした。

ですが、その根本的な原因は「夫」や「子供」ではなく、

私自身の「やり残していた課題」や「置き去りにした自分」が、最近になってあからさまに

なってきたのが原因だったのがわかると、なんだか腑に落ちたような気持ちになりました。

「自分には甘くて、人には厳しい」

ずっとそんなスタンスで生きていたので、

今になって「家族のこと」「経済的なこと」「自分の将来のこと」などで

今まで私がしてきたことの問題点がしわ寄せになっていっぺんにやってきて、

つい最近まで、またそれを環境や周りの人のせいにしてきたことに気づかされます。

「因果応報」という言葉もあるように、やってきたことの報いは必ずあります。

今この時点で私自身の「やり残していた課題」や「置き去りにした自分」をしっかり

見つめ直して、そのいつまでも私を悩ます私自身の問題点をきれいに断捨離していき

もう一度、私のアイデンティティとは何かを考えてみます。

そして、徳を積むを積むように暮らしていって、何年か経ってからでも後悔をしない

そんな生き方になるように努力していきたいと思います。

「徳を積む」7つの方法で自分の未来を変えてみる。
「徳を積む」とは人の役立つことや喜ぶことを見返りなしに行動していくことを言い、精神的身体的に様々な変化が訪れる50歳はちょっとした心がけや意識の向け方を変えた私なりの方法で徳を積んでいくことを日常にしていき、自分自身も未来もより良く変わっていけるように日々努めていこうと思っています。

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