浪人生の息子に対する私の接し方。

先日1月13日と1月14日にセンター試験がありました。

浪人している長男にとっては、一年間の頑張りが問われる一番最初の入試になるのですが、

私にとってもそんな息子に掛ける言葉について悩んだ一年であったので、

この重要な日に私が息子に言ってやれる言葉は何がいいかとずっと考えていました。

行きたい大学が言えず浪人した長男の話。
不登校の妹のことを思い、東京の大学に進学したいとなかなか言えなかった長男がジレンマを抱えながら受験した地元の大学は全て不合格。結局浪人生になって、東京の大学を目指します。昔とは違い今の入試方法は複雑化していますが、しっかりと分析して合格しやすい方法を見つけるのが重要だとわかりました。

スポンサーリンク

センター試験の結果で変わる心の余裕

センター試験は、私立大学一本に絞って勉強していた息子にとっては、

センター利用のための試験で取れた正解率で志望校合否が決まるものなので、

この結果次第で2月の一般入試に向けての心の余裕ができるかできないか

いうことになります。

志望校である私立大学の試験は2月上旬にあって、合格発表は2月の中旬になります。

なので、センター試験の出来がいくら良くても合格はもちろん確実ではないので

2月の一般入試は絶対に受験しなければなりません。

ただ、これからの本番までの1ヶ月間を過ごすのに、精神的な面では全然違う。

と息子は言います。

私もその立場なら、同じことを考えると思います。

センター試験の当日。

受験科目は国英社のみとなるので、1日目だけの受験になるのですが、試験時間や

待ち時間が長く当日はお弁当持参だったので、息子の大好物の唐揚げを作って持たせます。

余裕をもって朝8時半に家を出たのですが、

「いってらっしゃい。落ち着いてがんばれ。」とだけ言って見送ります。

最後の英語のリスニングテストが終わったのが18時10分で、

家に帰ってきたのは20時過ぎです。

「ただいま。」といつも通り、飄々とした感じで帰ってきたのですが、私の方から

「どうだった?」と聞くのはやはり気が引けるので、「おかえり、お疲れさま。」

と言った後に沈黙になります。

ですが夫がこれもまた飄々とした人なので、「試験どうだった?」といつもの調子で

すかさず息子に聞いてきます。

私の心臓がドキッとして痛くなります。

おそらく夫は息子にとって母親である私に試験の出来を聞かれるよりは、

父親である自分にまずは聞かれた方が精神的にいいと思ったのだと思います。

すると、息子は「過去問よりはできなかった。」と。

夫は「まあ、気持ちを切り替えて本番の2月に向けてがんばれ!」の一言だけ言って

センター試験の話はあっさりと終わり、ごはんを食べ始めます。

きっと私なら、国語はどう?英語はどう?といちいち細かく聞いていたのだと思いますが、

ここは私も胸中はモヤモヤしながらも、グッと堪えます。

当日の夜の解答速報を見て。

21時を過ぎると、大手予備校の東進や河合塾、代ゼミなどが解答速報がアップされます。

早速息子もリビングで答え合わせをするのですが、「あー」「うー」などの声だけがして、

洗い物をしながら私は横目でただ様子をみるだけにします。

そして採点が終わりました。

かなり落ち込んだ様子で、

国語が自信の無い問題が正解していて、自信のあった問題を間違えた。と言います。

自信のあった問題は過去問でもいつも正解で、直前に予備校で出された少しひねった問題でも

解けた問題だったので、自分なりに確実に点がとれる問題だったと思っていたらしく、

それが不正解だったのが、自信のない問題が正解だったことを上回るくらいのダメージだと

かなりショックを受けていました。

この時ばかりは私も黙っていることができず、「きっと大丈夫!」と思わず口から

出てしまいましたが、夫は「とにかく気持ちを切り替えて2月までがんばれ。」

とだけ言います。

トゲのある私の声掛け。

私はいつもこういう困っている場面になった時

どうやって子供に声を掛けてやるのがいいのか本当に迷うというか正直とても苦手です。

というのも家族にいつも言われることが、私の言葉にはどこかトゲがあり、

悪気はないだろうけどグサリと突き刺さる時があると言われているからです。

そして、私自身も言ったあとにものすごい罪悪感に駆られることがあるのも確かです。

なのでこういったシーンで何か言葉を発するのは反対に逆効果なのだと自分でもわかっている

つもりなので、家族や友人が本当に困っているときや悩んでいる時の対応については

私の永遠の悩みかもしれません。

「置かれた場所で咲きなさい」で変わりました。

ですが以前読んだ本、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい。」の一節を思い出し

また引っ張り出して読んでみることにしました。

第4章「愛するということ」にある「2%の余地(許すためにゆとり)」の文章の中に

人間は一人ひとり「人格(パーソン)」があって、考え方も捉え方も度合いも一人ひとりが

違い、決して同じではないという内容のもの。

大学で教鞭をとられていた渡辺さんは学生に

「お父様を亡くした友だちに何と声をかけてやったらいいのかでしょうか?」の質問に

「ただ傍にいて手を握ってあげたらいいと思う。

何を言ったら慰められるではなく、本当に相手を思う気持ちが大事。

手を握らなくて傍にいるだけでいい。」と答えたそうです。

いくら父親を亡くしたという共通する悲しみだとしても、

自分と相手は決して同じではなく、わかりきれないところがある。

「私も経験したから、あなたの気持ちがよくわかる。」

は思い上がった言葉だと言っています。

おそらく私もそういった「あなたの気持ちがすごくわかる。だから…。」という言葉が

家族には鬱陶しくて、傷つけるのでしょう。

母親として妻として何か言わないといけないというのが、私にはありすぎていました。

この本を読み返し改めて

何も言わないというのが相手にとって一番いいこともあるということを学びました。

そして続けて渡辺和子さんは、人間は決して分かり合えるものではないから、

どれほど信頼している相手でも

「100%信頼しない。98%にして、あとの2%は相手が間違った時の許しのために

とっておく。」と言われています。

修道女である渡辺和子さんらしい考え方だと思いました。

今回の息子の受験のことで言えば、私も息子には

「100%志望校に合格できると信じている。」といった気持ちでいました。

というより、「100%合格しなければ困る。」と思っていました。

なので、今回のように少し不安要素が見つかると私まで不安になって、

息子に言わなくてもいいことを言ってしまいます。

いくら自分の子供でも息子が

今何を考えているのか、そして悩みの深さも私にはわかりません。

それよりは98%は信じてやって、2%はどんな結果になっても大丈夫といった

心の「ゆとり」を持って、特別な言葉を掛けてやらなくても家族として傍にいてやるだけ

でいいのだという気持ちで一般入試の本番まで過ごしていけたらと思います。

スポンサードリンク