中学3年間不登校だった娘の高校受験。

今年の4月で高校生なった長女。

中学の時は1年生の1学期に登校しただけでほぼ3年間不登校でした。

中学入学後に小学校の時の親友に誘われて、クラブは吹奏楽部に入部し、毎日放課後は

クラブ活動に励んで、勉強もしっかりとがんばって中間テストも期末テストもいい点数を

取ってきました。

娘の通っていた中学の吹奏楽部は数多くのコンクールにたくさん受賞するような強豪校で

顧問の先生を始め、2年3年の先輩たちもとても熱心に練習に取り組み、厳しい練習内容

でしたが、娘も一生懸命クラブ活動に励んでいたので、私も充実した中学生活を過ごしている

と安心していました。

中学初めての夏休みもお盆休み以外は毎日登校して練習し、その甲斐あって、夏休みの終わり

に行われる大きなコンクールにも見事金賞を受賞して、みんなで涙を流して喜んでいて、

娘もこんなに大きな達成感を味わったのは生まれて初めてだったかもしれません。

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この日を境に娘の様子が変わっていきました。

そしてその後、張り詰めた糸がプチンと切れたかのように、娘は何もかもにやる気

を失くしてしまい、朝起きることもできなくなって最初のころは遅刻してでも登校していた

のが、次第に休むようになり、とうとう全く学校へ行かなくなりました。

特別な理由があるかと聞いても、本人もわからないと言い、担任の先生は特に変わったことも

なく、むしろクラブ活動も勉強もとてもがんばっていたので、とにかく休養をとった方がいい

と言われていたので、私も夫も一切「学校へ行きなさい。」とは言わずに私も様子をみること

にしました

家では全く普通で、変わった様子もなく、家族全員が仕事や学校で留守にしている間はごはん

もちゃんと食べて、一人で大好きな絵を描いて過ごしていました。

ですが、だんだんと朝起きる時間が遅くなって、夜はひどい時は一晩中起きているという

生活が増えてきて、次第に昼夜逆転の生活になっていきます

この昼夜逆転は不登校の子供の多くに起きる生活パターンみたいで、毎朝普通に目にする

通学や通勤の様子を垣間見るのを避けるために、その時間帯は寝ていたいと思う心理から

だと聞き、娘自身も後になってそう言っていました。

そして私が仕事から戻ると、朝に作った朝ごはんもお昼ごはんもそのまま冷蔵庫に入って

いて、私もこの頃から不安と焦りと娘に対して苛立ちを感じることが増えてきましたが、

娘の前では私も夫もぐっと堪えて平常心で接していました。

不安と焦りがいっぱいな時に私がしていたこと。

また月に一度、私は中学校に出向き、カウンセリングを受けるようにしていましたが、

ここでは家での様子や家族とのやりとりなどを話して、あとはほぼ私の愚痴というか不安な

気持ちをぶつけていました

カウンセリングの先生は私の話をふんふんと聞いてくださるだけで、特に解決策を話して

もらえるということはありませんでしたが、私自身はこうやって溜まった気持ちを吐き出す

ことによってずいぶんと救われたので、本当にありがたかったです。

結局、何も変わらずに1年生は終わって、2年生になりました。

すると、娘は朝何もないように起きて、制服に着替えて学校へ行ったのですが、私が仕事から

戻ってくると、帰ってからそのまま布団に入って寝ていたらしく、起きても学校のことは一切

口にしなかったので、私もあえて黙っていました。

次の日を期待して起こしてみるものの、全く登校する様子はなく、また休むことに。

夜にプリント類の配布のために担任の先生がみえられたのですが、それが美術の先生

絵が好きな娘のために学校も配慮してくださったのかなって思い、少し嬉しくなりました。

ですが、結局その後も登校することはなく、私もこのまま学校と距離を作ってしまうのは

いけないと、PTAのクラス委員を引き受けることにしました。

少しずつ娘の様子が変わってきました。

PTAへの参加は仕事をしながらで不安ながらも、そんな目立っての業務はなかったので

それはよかったのですが、行事がある毎に子供のいない学校に出向き、行事に参加して

その度に柄にもなく校長先生や教頭先生に積極的に声掛けをして、学校との距離を縮めよう

ということに努めていきました

担任の美術の先生の度々家庭訪問の時も家に上がってもらい、娘にはドア越しでも先生の気配

を感じてもらうようにして、直接会うことはできなかったのですが、間接的にでも先生との

距離を縮めていくようにしていきました

そういう感じで過ごしていくうちに、寒くなり始めた11月の始めには先生の家庭訪問の時には

玄関まで出て挨拶ができるようになり、その次にはリビングで自分の様子などを話すように

なるまでになっていました。

休んでいる間はずっと絵を描いて過ごしていたので、ここは美術の先生なので話が盛り上がり

次の家庭訪問からデッサンのレッスンをしていただけるようになり、このころから娘も先生に

も心を開くようになってきましたが、登校するということはなかなかできませんでした。

春休みに入り、今度は受験生になります。

私はダメ元な気持ちで3年生もその美術の先生に担任を持ってもらえないかお願いしてみて、

幸いにもそれが叶い、3年生の新学期、登校は相変わらずできませんでしたが、月に一度の

デッサンのレッスンは続けることができました

カウンセリングでのアドバイス通り、娘のような学校の雰囲気に馴染めない生徒のための

特別なクラスがあると聞いていたので、この頃から私も娘の機嫌を伺いながら、そのクラスに

行ってみようと促すようにしました

最初は聞く耳ももたなかったのですが、少しずつ受験生の自覚が芽生え始めた2学期の終わり

くらいから、最初は私も同行しながら、みんなが授業中の時にそっと登校して、そのクラスに

入って一緒にプリントをして過ごすということができるようになってきました。

3年生になって、娘がTwitterを始めたのですが、その時に吹奏楽部に誘ってくれた親友と

つながっていたらしく、娘が登校した日はみんなには内緒でその教室まで来てくれて、

友達とおしゃべりするのが少しずつ楽しみになってきたようでした

受験生だと自覚して一歩踏み出すことに。

そして娘が「中学は行けなかったけど、美術の勉強ができる高校に行ってみたい。」

言い出してくれて、中学の3年間は全く勉強はしていませんでしたが、担任の先生をはじめ

各教科の先生方が娘のために放課後時間をとってくれて特別授業などをしてくださるように

なりました

志望校も決まり、赤本を買って出題傾向を先生に見てもらい、そこを中心におよそ2か月間、

早足で受験勉強をしたのですが、丸3年間の学習内容を試験科目の国数英の3教科だけとは

いえ詰め込むのは至難の業でした。

片方で私は数回に渡って開催されていた志望する高校の学校説明会に全て参加して、個別相談

にも全て受けるようにしていきました

その度に中学では不登校だったことを話して、それでも高校は受験して、前向きに学校生活を

送っていきたいと言う娘の気持ちを伝えていきました。

高校側は私や娘の気持ちを汲んでくれて、とにかく入試がんばってくださいと激励して

くださり、この時に最低合格合計点が3教科で120点で、一教科40点が合格ラインとお話し

してくれました。

ところが、過去問をやっていても、英語は中学から始めて文法どころか単語も全く覚えて

いない状態なので、一からやらなければならないとなると全くもって時間が足りません。

やはり英語は基礎からの積み重ねで、関連付けて覚えていかないといけないので即席で

かいつまんでの勉強はかなり無理があります。

なので、英語はもう捨てる覚悟にして、国語と数学でなんとか120点取れるようにして

いきました。

国語は元々好きだったので、奇跡的に点数はまあまあ取れていたので、あとは数学に賭ける

しかありませんでした。

まずは出題傾向をみると、必ず毎年出題される計算問題と面積の問題、確率の問題は

解き方さえ解ればできる問題ばかりだったので、登校できた時は数学の先生に時間をとって

いただいて、一緒に過去問を繰り返し解いていくをやっていったら60点は取れるように

なっていました。

どうにか苦しみながらもギリギリ合格点は取れそうなまでがんばって、あとは当日の

面接とデッサンの実技で勝負です。

受験まで不安でいっぱいだった毎日。

とにかく娘は今までサボっていた自分を責めて苦しみ、

もし志望校に落ちたら、今度は高校にも行けなくなる。

眠いし、好きな絵がなかなか描けない。

と不安と恐怖とストレスが募るばかりで本当に辛そうでした。

もし娘が受験を辞めたいというならば、それはそれでしょうがないと私は本気で思って

いたので、ここも何も言わずにひたすらググッと我慢して見守ることだけに徹しました。

こうやって私は根回しをしたりや環境づくりはしてきましたが、やるかやらないかは全て本人

に任せていたので、私は何も言わずに只々受験のための準備を付き合ってやることしか

しませんでした。

そして受験当日。

この日も私は高校まで付き添って、図書室で試験が終わるまでずっと待っていました。

試験と面接が終わったのが15時過ぎ。長かったです。

娘が私の待っている図書室までやってきて一言「やっと終わった!」

何も聞かなくても、その表情だけでできるだけのことやったんだなって思いました。

翌々日に合格通知書が無事に届きました。

この3年間、とにかく「忍耐」の一言が全てだった私たちにとっては何よりも嬉しいニュース

でしたが、ほとんど通学していなかった娘にとって、高校生活をどういう風に過ごして

いくのかと大きな課題がまたひとつ生まれました。

やっと小さな山をひとつ乗り越えただけなのですが、これからも私や夫にとっては今まで通り

後ろからただ見守ることに徹していこうと思います。

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